地名探訪 「大坂/大阪」

 かつて大阪は「なにわ」と呼ばれていた。いや、「呼ばれていた」と書くとと少々語弊が生じるかもしれない。大阪市内の自動車にはなにわナンバーが交付されるように、現在においても大阪をなにわと言い換える文化は少なからず残っている。


 「なにわ」という地名の生い立ちは「安治川トンネル」の記事の冒頭でも触れた。一応、ここでも書くと、『日本書紀』の「神武東征伝説」には「まさに難波碕にいたるとき、奔き潮ありてはなはだ急ぎに会いぬ、よって名づけて浪速国となす。また浪華という。いま難波というは、訛れるなり」と書かれており、これを現代語に訳すと、「神武天皇の船団が難波碕に近づくと、そこは潮の流れが非常に速かったので「浪速国」と名付けた。また、その波が飛沫となって飛び散るのが白い花のように見えるので「浪華」と名付ける。今の時代に難波と言っているのは、それらが訛って転じたもの」ということ。


 では、なぜそれが今は「大阪」という呼び方に取って代わられたのか。


 「大坂」という地名が最初に現れたのは石山本願寺で有名な浄土真宗第八代宗主蓮如が書いたとされる御文においてである。「摂州東成郡生玉乃庄内大坂トイフ所在ハ、往古ヨリイカナル約束ノアリケルニヤ」というのがその御文の一部分である。この御文を書いた1496年に蓮如は大坂に御坊を建立し、それは後に石山本願寺となる。


 大阪は東京とは違い、高低差が少ないと言われる。確かに、東京ほど高低差の多い地形ではないが、上町台地周辺には大小多くの坂が存在し、一説によれば、この上町台地が形成する坂が「大坂」の地名の由来となっている。上町台地が形成する坂が由来と言っても、それが一体どの坂なのかはこれまた数多くの説があり、はっきりとしたことはわかっていないのが現状だ。それらの説の中で、私が個人的に強く推しているのが「淀川にかつて存在した「大江の岸」から上町台地に登る坂を「大江の坂」と呼び、これが後に「大坂」の由来になった」というものだ。確固たる根拠があるわけではないが、確かにかつて「大江の岸」と呼ばれていた、現在で言うところの天満橋近辺はちょうど上町台地の北端に位置しており、淀川舟運で栄えた八軒家浜(渡辺津)から上町台地を登る坂も存在している。


 京阪電車天満橋駅を降り、淀川沿いを目指していくとたどり着くのが八軒家浜船着場だ。かつては大坂の淀川舟運の要衝としてや熊野街道の起点として大いに栄えた。現在は位置を少し変え、水上バスや観光船などの発着場となっている。


 また、前述した通り、天満橋や北浜といったこの辺りは上町台地の北端に位置している。そのため、数多くの坂が存在しており、これらはかつて「大江の坂」と呼ばれていた。

 これがかつて高倉筋と呼ばれていた古い通りにある石段である。見ての通り非常に味のある道で、この近隣は大阪有数のオフィス街であるが、この石段の周囲だけはどこか不思議な雰囲気を醸し出している。高倉筋の石段は蓮如が生きた時代には存在していなかったが、このような坂が多く存在していたのではないかと推測出来る。


 この坂の石段は江戸時代に積まれたものだという。坂の途中には一部分に石段が無い(歯抜けのように欠けている)部分があり、ここにはかつて常夜灯が置かれていたとされている。常夜灯とは主に街道沿いに設置されていた現在でいうところの街灯のようなもの。高倉筋にあった常夜灯は天王寺区にある生國魂神社に移されたそうだ。


 坂を上った先は公園になっている。公園の周りはやはり雑居ビルやマンションが林立し、それがより一層高倉筋を異質なように感じさせる。あえて汎用的で詩的な表現をするならば、まさに高倉筋は大坂の時代から時が止まってしまっているようだ。


 今回は「大坂」の由来が「大江の坂」であること、そして、その「大江の坂」を高倉筋の石段に見立てて考えてみたわけであるが、最後に、「大坂」が「大阪」になった理由も簡単に書いておきたいと思う。「大坂」が「大阪」に変化いたのは明治の新政府になってからである。明治新政府が大阪府を設置し、これに用いる府名の印章が「大阪」とされたのだ。これも諸説あるが、最も有力なのは「「坂」という字が「土に返る」になっていて縁起が悪いから」というもの。他にも、明治維新直後ということもあり、当時は士族の反乱も多かった時代背景から「「坂」という字は「士」が「反乱」することを思い起させるため」という説、「大阪府設置にあたって「坂」という公印用の判子が無く、「阪」で代用したためそれが根付いた」という説もあり、これらも十二分に納得のいくものだ。


 結局のところ「大坂」という地名が生まれた正確な由来と、「大坂」が「大阪」になった正確な理由はわからないが、地名とはそもそもそういうものであると私は思う。わからないからこそあれこれ考える楽しみがあり、それが我々を地名の魅力に引き付ける。私たちが普段接している地名もまたそうなのである。


【参考資料】

若一光司(2015)『大阪 地名の由来を歩く』ワニ文庫

谷川彰英(2013)『大阪「地理・地名・地図」の謎』実業之日本社


2017年11月15日 記事公開

2019年1月16日 一部修正

近畿交通民俗学研究会

近畿交通民俗学研究会 日本遺構学会

0コメント

  • 1000 / 1000